銭洲シマアジ、カンパチ狙い!
水温20℃まで上昇!
カンパチ小型リリース15本以上!!!
ムロアジ巨大です。
潮の流れに変化あり。
今後に注意⚠️です。
話し変わり、
メール予約ですが、スパムメールが多くなりセキュリティ対策をした後に再開致します。
お手数おかけします。
お電話にてお問い合わせくださる様お願い致します。
4月1日より解禁になる銭洲。
銭洲は明治28年、稲葉半七さんにより発見されたそうです。
以下、松崎町のホームページから。
稲葉半七は、文政6年(1823年)3月江奈浜石川家に生まれ、弁天町の稲葉家(現半七丸)を継ぎ家業の漁業に従事した。体躯頑強で眼光は冴え、雲を仰ぎ見、潮流を見渡して天候を当て、更に漁獲の多少まで知って百に一つの違いもなかったと。
船の操縦にも優れ、転覆しそうな激浪の中でも平然として船を自在に操った。特に視力に優れ、数里離れた波間に魚のはねるのを見て仲間に知らせ、大漁をすることが出来て喜ばれた。
半七は明治28年(1895年)73歳の時、伊豆神津島の西南8里の処にある銭洲ノ瀬を探査して、鰹の群集していることを発見し、これを漁民に知らせたが、この新漁場の発見で、漁民は好漁場を得て漁獲量は増大する結果となった。半七は明治36年8月15日81歳で没したが、禅海寺過去帳に「海功永勲上座」とあり、「伊豆南島銭洲探見者故ニ上座号ヲ謚」と付記されている。半七は生来義を好み、威と愛を以て接し多くの漁民を導いた。明治39年2月、江奈浜漁業組組合は半七の功を賞して県内有志に呼びかけて、壱千円を集め巨鯛島(弁天島)の入口に顕彰碑を建立した。篆額は当時の水産局長牧朴真、碑文は明治に活躍した劇作家依田百川、書は禅海寺神山義容である。
当時は、どんな船だったのでしょう?
今は、冷暖房完備。
至れり尽くせりの装備です。
稲葉さんに感謝!
本年も安全安心な釣りを提供したいですね。
宜しくお願い致します😊
4月1日解禁になる、銭洲の遊漁ルールについて皆さんと会議しました。
銭洲航路を取得する為には設計段階で船体構造から規格に合った造りにする必要があります。
国土交通省が行う、3年に1度の厳しい検査を受検し、合格した船舶のみ許可をいただけます。
また、漁場の有効利用等のルールつくりも都の水産科を交え決めています。
昨日2024/03/20は、静岡県の銭洲遠征船で組織する銭洲遠征船釣組合総会を伊豆漁協土肥支所で開催しました。
コロナ禍で開催延期になっていた為、船長、アシスタントの皆さんの顔合わせも含め『次世代への接続』をテーマとしたルールつくりを話し合いました。
魚釣りのバックリミットやレギュレーションを学ぶ必要があり、何から始めれば良いのか?手探り状態からの出発です。
先人に話を聞き、お客様への負担を考え、先ずは理解と協力からお願いしよう。と、決まりました。
今期は、
カンパチ3kg未満リリース。
シマアジ1kg未満リリース
死んでしまった魚はお持ち帰りです。
1シーズン皆様にお願いをして、どうだったのか?を来シーズン前に会議します。
大型魚のリリースについては、船の装備等の見直しが必要ですので、今後の課題とします。
未来ある海を!
ご利用してくださる皆様のご理解ご協力をお願い致します。