自己紹介&家族構成                     今までの健司船長の釣った思いで記録
命名   マダイの健司
本名   鈴木健司
生年月日 S44.01.03  
身長   179cm   
体重   72kg
父    鈴木忠治(現役 大船長)
母    文子(現役 海女さん)
兄    忠文 (とび島丸船長)
妻    みどり
長男   潮
次男   拓海
●マダイ  9.1kg  
お客さんには11.9kg釣らせてます。
●ヒラマサ22.0kg(銭洲)
すっごく若い時
●モロコ 30.7kg(銭洲)

●カンパチ25.0kg(銭洲沖)
スタンディング泳がせ
●イシナギ68.0kg(石花海)
ハンドルなしのミヤマエでフル電動釣りました。
●カンナギ58.7kg(銭洲沖)
鈴木健司ことマダイの健司 または喰わせの健司。生まれた日からわかるように
1月3日生まれ,正月三ヶ日ほんとにメデタイ!メデタイのタイをとてっか
「マダイの健司」生まれながらにしてマダイ釣りは外せなかった。
土肥沖の記録的なマダイは、ほとんどといっていいほど健司船長あやつる08とびしま丸で上げられる事が多い。シーズン中の数・大きさ共にその釣果を見ればベテランの方までも納得のいく数字が出てくる。
その独特な流し方、釣らせ方は現役の親父船長と兄忠文に幼い頃から鍛え上げられたものと健司船長独自に研究し考え毎日の経験を繰り返し追求してきた結果の技・・・。
幼い頃から遊びは海、家は船宿、親父は船長、お袋さんは今でもバリバリ現役の
海女さん。勉強なんか大嫌いの健司君そこは厳しい家で育った要領のよい次男坊。
(宿題やるくらいならお父ちゃんと一緒に釣りに行く)小学校1年から石花海のイサキ釣り、そこは若かりし頃の親父船長、ショロショロしているとゲキが飛ぶ。
小2の夏休み今度は金洲のイサキ釣りその頃にはコマセワークもうまくなりジャンボイサキも一荷で釣れたそうな。初めての釣竿を小学校3年のときに買ってもらい学校帰りに磯通い、なぜかマダイではなくブダイ釣りにはまるがすぐにあきる。
中学に入ると本格的に沖に出だす。
『いつも絶対に勝てなかった親父に初めて勝ったのを今でも覚えているよ・・
金洲のシマアジやりいってね~
親父が3枚、俺が2.8~5.8kgを8枚釣って初めて勝った!
うれしかったね~(笑)』とうれしそうに語る。
高校は焼津水産高校に通いその頃は当然ながら毎日“ビーバップ”だった。
今じゃはやらない“ボンタン”はいてカバンも薄くてさ・・・(ニヤリ)
週に2日帰ってくれば帰ってきたでちょうど機械科で習った事をいい事に自分のバイクばらして、いじくって、狂ったように伊豆の山道を一日中走っていたとさ。
なんとか卒業し、帰ってきてから、ずーっと乗り子をやっていて19の時に初めて御前崎の1枚芝で舵をまかされた・・その時兄貴の船が19枚、俺が23枚、
そこで兄貴にも勝ちうれしくなってマダイ釣りにはまった。
『もうそれからは、ずーっと船長で、まぁ時期によってはマダイばかりじゃぁなくてイサキ、大アジ、にはじまりモロコ、イシナギ、金洲のカンパチ、ヒラマサはずーっとはずしてないね。それを考えると兄貴や親父には感謝しているよ!
石花海でもこの前イシナギ108kgをお客さんがライトタックルで釣ってくれたよ!
うれしかったね~。』と日に日に狙った物はほとんどしっかりお客さんに釣ってもらえるようになってきた健司船長、若い頃は親父さん譲りの口の悪さからか誤解される部分もあったけど『おべっか使っても魚は釣らせてやれないからね~』の気持ちがどこかにあったのか・・・今では逆にそんな船長も大人になり、ねれてきた。
初めてのお客さんにも優しく竿も貸したり、
お客さんが作ってきた仕掛けが悪いと思うと舵を握りながらパッパッと仕掛けを作りお客さんに渡した後にすぐお客さんが釣ると思わずニンマリ健司船長。
船長としてのお客さん付き合いの技も冴えてきた。マダイ釣りに関しては、依然真剣勝負!!今度は何kgのマダイを釣らせるのか期待しているぜ!!
                                   By 鶴蔵
『どんな潮の時でもパッと海を見て、マダイの口を使わせるようでかいヤツにコマセはあんま振っちゃダメだね、2kg、3kgのタイじゃぁないからね。竿もあんまりあおらずに潮を見ながら水中をイメージする一度や二度はハリ掛かりしている百戦錬磨の大ダイはかしこいからね、踊るあやしいエサには喰いつかないよ。ぽろぽろと少しづつ潮に載せてコマセの帯を作りながらジッと待ち下から見てるヤツが我慢できなくなるまでジッと待つ。あせっちゃダメだよ、我慢できなくなったヤツは必ず喰うから・・・』と静かに語る。